• トップページ
  • project
    • 全ての作品
    • 全てのタグ
  • blog
    • 全ての記事
    • 全てのタグ
  • tag
    • 全てのタグ
    • 全ての作品タグ
    • 全ての記事タグ
  • about
    • p進大好きサークル photo

      p進大好きサークル

      p進大好きサークルのHPです。

    • もっと読む
    • Twitter
    • pixiv
    • 巨大数Wiki

数学をアウトプットする時の心構え

2025/08/11

トップページ

前の関連記事: 本当は怖い圏論

親記事: 数学関連記事リンク集


twitter pixiv yukicoder お題箱 マシュマロ

趣旨

学術の様々な分野で昔から、いわゆる「トンデモ」と呼ばれる方々が批判を浴びています。

「トンデモ」という言葉の意味するところは人によって様々ですが、少なくとも数学においては共通して学術的な不誠実さが問題になることが多いと思います。

一方で自分では自分が「トンデモ」に陥っていないかを判定しにくいことから、学術的な誠実さをもって数学の勉学に励んでいる人達でさえ「もしかしたら自分もトンデモなのではないか」と疑心暗鬼になりアウトプットに躊躇してしまう様子が散見されます。

ここでは数学をアウトプットする際に意識すべき学術的誠実さの私見を述べることで、どうすれば「トンデモ」に陥りにくいかを考えていこうと思います。

あくまで私見ですし、著者($p$進大好きbot)自身も自分の信じる学術的誠実さを守って行動した結果としてさえ不誠実だというご批判を受けたことはありますので、ここで述べた私見を踏襲すれば誰から見ても学術的に誠実だとみなされるというわけではないことにご留意ください。

問題点

そもそも数学における「トンデモ」に起因する問題をまとめておくことで、逆にどのような問題を避けることが要求されているか、そのためにどのような態度が求められるかを考えます。

新規性に関するcreditの問題

学術において「誰が何を最初に発見/発明したか」は非常に重要な情報となります。

例えば第三者の功績を説明する際にこういった情報を意図的に秘匿してしまう(それによって自身が発見者/発明者であると読者に誤認させうる)行為は極めて悪質で、研究不正の1つである「剽窃」にも該当するおそれがあります。

先人の学術的貢献をcreditすることが重要でありそれをしないことが非難される理由については人それぞれの考え方があると思いますが、例えば適切なcreditがない世界(自身がどんな成果を上げても他者に貢献が秘匿され、あたかも他者の貢献であるかのように簡単に剽窃されうる世界)では新規の結果を上げる動機が薄まり、人類全体の研究活動が停滞しやすいことが想像されます。

数学においては特に「誰が何をどのような仮定や手法のもとで最初に証明したか」が重視されます。

しかしいわゆる「トンデモ」が学術的に問題のある文書の公開をもって「私が最初に命題$P$を証明しました」と主張しそれが悪意なき大衆に拡散され信用されてしまうことは、それ以降に実際に学術的に問題のない文書を公開して最初に命題$P$を証明した人の得るべきcreditが少なくとも大衆からは損なわれるという被害が生じます。

初学者への学習妨害の問題

初学者は少ない予備知識で新たな数学を学ぼうとしているため、誤りを含む内容を見つけても自力で誤りに気付くことすら難しいことが多いです。

そしてインターネットを学習の場とする初学者も多く、その際に複数のページを当たってみて「分かりやすい」と感じたページを参考にすることが予想されます。

難しい数学は厳密に解説すれば当然難しいままなのですが、厳密性を捨てて(つまり厳密には間違った内容を載せて)解説をすることで、元々の難しい数学とは別物の何かを解説することになるので結果的に読者に「分かりやすい」と感じさせることが可能なことがあります。

しばしば「厳密さと分かりやすさはトレードオフである」という主張を見掛けますが、その逆の主張「厳密さと分かりやすさはトレードオフでない」もよく見掛けます。筆者も逆の立場であり、そもそも間違っている説明は正しいものを分かりやすく説明していない(正しくない別の何かを分かりやすく感じるように説明しているだけ)という立場を取っています。

別に他者にその立場を押し付けるつもりはありませんが、そういう見方をする層が一定数いること、つまり厳密さを捨てた説明をすることで逆に自身の評価が下がっていきうることを意識すると、アウトプットする側としても損をしにくいかと思います。

フィードバックコストの問題

上述した2つの問題を解決するために、初学者でない人達が尋常でないコストを払ってフィードバックを行います。

しかもフィードバックを行った人達は、アウトプットの注目度が高ければ高いほどしばしば上述した2つの問題を理解していない大衆から批判を浴び、風評被害を受けることもあります(フィードバック自体に誤りなどの問題があって批判されることについてはここでは問題にしていません)。

フィードバックを行った善意の人々がコストを負って批判も受けて損をする状況が深刻になれば、段々とフィードバックを行う人が減っていくかもしれません。そうなると、良かれと思って作った自分のアウトプットが原因で界隈全体が損をしてしまうことにもなりかねません。

実例

詳細は伏せますが、とある数学系の海外コミュニティで実際に集合論について以下のような誤情報が「常識」として何年も蔓延していた惨状を著者は目の当たりにしてきました。

  • 順序数というのはただの文字列である。
  • 順序数崩壊関数というのはただの順序数(ここでは文字列のこと)の展開規則のことであり、計算可能関数である。
  • 順序数表記というのはただの順序数を表す文字列の指定方法であり、特に順序数崩壊関数(ここでは文字列の展開規則のこと)は順序数表記である。
  • 順序数(ここでは集合論の概念のこと)は無限降下列を持たないので、順序数(ここでは文字列のこと)の展開規則と銘打って定義された展開規則の停止性は証明せずとも明らかである。
    • もし運悪く何らかの展開規則が無限ループを持った場合も、それはその展開規則のみの問題であり他の展開規則の停止性は証明せずとも明らかである。
    • 実際、他の展開規則は無限ループが見つかっていないのだから停止するに違いなく、実際に停止するのだから停止するまでの手順を書き下すことで停止性が証明されるわけで、それを書き下す必要はない。
    • 数学者は証明が不要なはずの停止性を厳密に書き下そうとしているため議論を無駄に長くしているだけで、順序数表記に関する多くの論文は実際には簡潔に書けるものである。
    • 私達(その界隈の人々)は数学者の論文に書かれた順序数崩壊関数より遥かに強い(モストウスキ崩壊が大きい)順序数崩壊関数(文字列の展開規則のこと)を既にたくさん定義してきており、数学者の定義した順序数崩壊関数は非常に弱い。
    • 私達(その界隈の人々)は順序数表記(文字列云々)を用いて$\textsf{PTO}(\textsf{Z}_2)$(少なくとも当時は未解決問題)より先まで解析している。

順序数は厳密な定義のある数学概念で、これらは全て誤りです。そしてそのコミュニティはかなり規模が大きく、ウェブページや動画を通して様々なアウトプットを繰り返しており、以下のような問題が発生していました。

  • 学術的に問題のある文書で「証明」として公開されていたものが結果的に間違っていたにも関わらず、それ以降に数学者が証明した際にその情報を意図的に隠滅した(元の「証明」の誤りや数学者が実際に証明したという事実を記載したページを編集することで修正内容を削除した)。
  • 実際に初学者が勉強する際の弊害になり、しかもそれらのウェブページや動画を通して勉強した初学者がその理解のコピーを更にアウトプットしていくことで誤りの流布が加速していった。

上述した「常識」が誤りであることを筆者を含む一部の有志がその界隈に普及させるには長い年月が掛かりましたし、当然ながら多くの誹謗中傷被害も受けました。中には人種差別を行う者、実際の功績を上げた数学者へ殺害予告をする者も出現し、「トンデモ」の持つ加害性を改めて実感しました。

それだけのコストと被害を負っても完全な根絶は難しく、誤情報拡散の中心となったいくつかのウェブページたち自体は改善されましたが、既に広がってしまった理解のコピーのアウトプットまで改善される見込みは今のところありません。

これは極端な例に見えるかもしれません。しかし始まりは小さな誤りだったものが、善意の拡散を繰り返されるとこのような事態にもなり得るということは肝に銘じておくと良いと思います。

学術的誠実さ

以上を踏まえて「トンデモ」に陥らないようにするためには、アウトプットをする際に以下のことを守れば良いのではないかと考えています。

  1. 記載した内容に責任を持つ。
    1. 基本的には先人の結果を適切に引用するか、既に証明された命題のみを用いて自身で証明をする。
      1. 「証明をする」というのは「証明をアウトプットに含める」ということは含意しない。証明をアウトプットに含めなかったとしても、一度は証明をするということ。
      2. つまり「厳密な議論まで書くと閲覧してもらえないから」や「証明は読者が望んでいないから」のような他責的な話ではなく、アウトプットに伴う自責の話である。
      3. 「証明をする」というのは文字通りの意味で、第三者やツールが「正しい」と言っているのを見聞きするだけとか実験をした結果反例が見つからなかったという意味ではなく、当該分野の標準的な厳密さで証明をするということ。
    2. 正しいと信じている結果でも先人の結果が引用できず自身で証明もしないのであれば、「ここから先は未証明であり厳密に正しいか否かを確認していません」などの注意書きを明確にし、自身の属性(非専門家であることや、本業の忙しい職業であることなど)に訴えることで注意書きをしないことの責任逃れをしない。
    3. 正しいと信じてすらいない(方便であることを自覚している)結果を記載する際は、「ここから先は厳密には間違っています」などの注意書きを明確にする。
    4. 記載した主張に出現する概念の定義等は何かを参照することなく自分で正しく説明できることが望ましく、それすらできないのであれば記載した内容が正しいと断言することは避け、自分で正しさを検証できない(反例が挙がっても反例が反例になっていることすら確認できず、フィードバックを得られてもそれに適切に対応して修正することが困難であるため、フィードバックコストが単純に無駄になる)内容を記載しているということを冒頭に明記することでフィードバックが不要になるように最大限の配慮をする。
    5. 査読を通ってすらいない段階で自分の「どこにも間違いがない」や「正しさの保証された理論」などと誇大広告を行わない(査読を通れば全て正しいというわけでもないが、それ以前の問題ということ)。学術界隈に属している人だけに公開する資料であれば査読が通っていない時点で信憑性が低いことが読者に伝わるのでアウトプットした人の信頼が損なわれるというだけであり問題が少ないが、不特定多数の人が閲覧する場では査読という仕組みすら理解していない大衆が鵜呑みにしてしまう危険性があるということを理解する。
    6. 意図の解釈について曖昧さが生じないように努力することをアウトプット側の責任だと認識し、曖昧さに伴う誤読が発生した時に一方的に読者の責任を問う言動(「よく読んでください」と非難したり一切の補足なく同じ文章を再掲したりするだけの他責的言動など)を避ける。
    7. 誤りを修正する場合は、誤りを含むアウトプットを公開した場所から明示的に紐付けるなどの方法で既に元のアウトプットを閲覧してしまった人や今後閲覧する人に不利益のないように注意する。
  2. 内容に対するフィードバックを適正に評価する。
    1. フィードバックにはコストが掛かるにもかかわらず、本来なら報酬を出すべき専門家かもしれない人材から無償で提供されているということを念頭に置く。
      1. 「間違っていたら詳しい人から指摘されるのでどんどん公開すると良い」という立場はフィードバックをする側から善意で発せられることがあるが、それを公開する側が述べると学術的な誠実さが疑われうる。
      2. 前述したように間違いを含みうる箇所にはそれを明記する。
        1. 特定の1箇所のみが問題であるのであればそこを明示することでフィードバックコストを下げる。
        2. 特定の1箇所のみでなくアウトプット全体が間違っている可能性が十分にあるならばそれを冒頭に明記することで初学者が被害を受ける危険性を下げ、専門家がフィードバックコストを負担する必要性を下げる。
        3. 特に誤りが非常に多い場合(誤りの指摘自体が非常に多い場合や、コストなどの都合で一部のみが指摘されていると明示があった場合や、誤りが多いことが指摘されている場合など)は指摘を受けた場所のみの訂正で解決せず、残りの誤りや訂正後の誤りが深刻である可能性が高いため、訂正するだけでなくアウトプット冒頭と公開場所の目立ちやすい場所に「非常に多くの誤りが残っている可能性があります」などの注意書きをする。
      3. フィードバックへの感謝を述べる(フィードバックコストを矮小化しない)。
      4. フィードバックをしてくれた相手が第三者から不当なバッシング(「素人なのだから間違ってても良いじゃないか」や「専門家なのだからフィードバックするのは当然の義務」や「文句があるなら自分で書けば?」など学術コミュニティ外の人が抱きがちなフィードバックの意義への無理解表明)を受けないように気を付け、不当なバッシングを見かけたら自ら誤解を解消する。
    2. 詭弁によりフィードバックの論点をすり替えることでアウトプットの正当性に対する疑義を消失させようとしてはならない。
      1. whataboutism:「あなたの文書も間違ってましたよ?」や「今まで間違ったことないんですか?」などの対人論証によりフィードバックの内容そのものではなくフィードバックを行った人物を批判する行為など。
      2. straw man fallacy:適正な引用をせず実際の発言からニュアンスを変えたり発言そのものを捏造したりして「~~と言われた」と述べることで、発言の一部を非難しそれをもって発言全体が不当であると暗黙にまたは明示的に述べる行為など。
      3. no true Scotsman:「あなたが数学者だというのは嘘ですね。数学者であればこの程度の数学を理解しているはずですが、実際あなたは私の証明が理解できていないのですから」など相手の属性を反証しようとする際に、その属性を持つ全員に成立するわけではない性質を持ち出す行為など。
      4. 内心の決めつけ:「あなたにとって私達素人の書く文に何ら価値がないから非難しているのでしょうけど」や「私が(特定の属性)だから非難しているのでしょうけど」のように根拠のないが反証もできない主張を挟む中傷行為など。
      5. 多重質問による前提の押し付け:「リーマン予想がもはや証明なしに認められるのは常識を考えれば分かることです。あなたは何故常識すら認めず証明を求めるのですか?」など主張をしたい事柄を述べてからそれを前提とする質問文を続ける行為など。質問文への単純な返答を行うと、前提にした事実を受け入れたかのような錯覚を当事者や周囲に与えるため不適切である。特に前提には上述した内心の決めつけのように反証にコストの掛かる中傷を持ってくることで、質問への回答をしながら前提の否定をすることを困難にしたり、または前提の否定そのものを論点のすり替え扱いし非難の対象を相手に移そうとすることがある。
      6. 質問のすり替え:「補題には$X$がコンパクトであることを課していないですがコンパクトを課さないと補題の主張にはこういう反例があるので、補題の証明のどこかが間違っていませんか?」という質問に対し「補題は定理の証明に使いますが、定理では$X$がコンパクトであることが保証されているので間違っていません」と答えるなど、質問に対し直接答えずに、「その質問への答えは持ち合わせておりませんが関連して」などの注意すら明示的に行わずにあたかも別の質問があったかのように回答をすることで質問への返答を避けること。
  3. 誹謗中傷を行わない。
    1. 明示的な誹謗中傷は当然のことながら、上述した詭弁による中傷のように中傷をしていることが大衆に気付かれにくいもの(学術コミュニティに所属しているわけではない大衆は必ずしも論理的誤謬に詳しくないため、詭弁を伴うアピールがしばしば正当なものであると錯覚しうる)も避けるべきである。
    2. 大衆は論理的誤謬に詳しくない一方で、学術コミュニティに所属している人達は経験則として(中傷であろうとなかろうと)詭弁を敏感に察知すると思うので、学術コミュニティ内では詭弁を用いた人間の風評は広まっていく(ここには書かないが、twitterで有名なアカウントの実例を複数知っている)。もちろん観測バイアスがあるので広まったのは一部かもしれないが、広まるということを十分に意識することで詭弁を積極的に避けるよう気を付けるとよい。

冒頭に述べたようにこれらはあくまで学術的誠実さについての私見に過ぎず、これらを守っても批判を受けるかもしれません。その時は自分の思う学術的誠実さをきちんと説明し、相手の思う学術的誠実さをきちんと聞き、建設的な話し合いをすると良いと思います。

もちろん正しい議論を書こうと努力した結果、残念ながら間違えてしまうこともあると思います。筆者が思う学術的誠実さは結果的に主張や証明があっていたかどうではなく、アウトプットをする際に上記したような注意を念頭に置いて正しさに向き合っているかどうかです。誠実さを尽くした結果として間違えたのであればそれは仕方ないので、引き続き誠実に間違いに向き合っていきましょう。

中でも特に詭弁と誹謗中傷は他と一線を画すほど避けるべき言動で、これらを行ってしまうと数学コミュニティでの評価は裏で最悪になると思ってください。それに比べたら、学術的誠実さを持って数学に励んだ結果の誤りによる風評への影響なんて、ちょっと恥ずかしいだけで微々たるものです。筆者なんてよく数学の間違いをして恥をかいています。

他の方々でも、結果的な誤りの有無だけを見て不誠実さを見出す人は少ないのではないかと筆者は思っています。結果的な誤りを過度に恐れるのではなく、上述したような意味での学術的誠実さを意識した上で大胆に数学をしていただければ幸いです。

最後に

あくまで筆者の私見として、数学のアウトプットにおける学術的誠実さについて述べさせていただきました。皆さんがアウトプットをする時に迷った際に参考にしていただければ幸いです。

なおアウトプットにも色々な種類があり、論文や公的書類や有償物であればそこに求められる学術的誠実さは重く、雑談や内輪ネタや限定公開された資料となれば軽くなるでしょう。

また数学ジョークなんてものも筆者は大好物です。ジョークにはあえて数学の誤っている命題を書くこともありますが、そこには「※厳密には間違っており、反例は~」などと解説を書くことは稀だと思います。

一方で有名未解決問題に関するアウトプットとなると話は別で、当然ながら大衆の興味を引きやすいので大衆に誤った情報を流さないように細心の注意をすることが数学コミュニティから要求されると思います。もしくは有名未解決問題でなかったとしても、未解決問題であることを強調すれば数学の論文の大半が未解決問題を扱っていることを知らない大衆が注目をしやすいので、同様に気を付けることが数学コミュニティから期待されるでしょう(とはいえそういう広告の仕方をする人は初の業績を得た若手であることが想像されるので、本人に直接教えてくれる親切な人はあまりいないかもしれません)。

例えば査読前に「証明をした」と述べることは避け、「証明できたかもしれないが査読を経ていないので間違っているかもしれず、これから投稿の予定である」などと誠実に状況を第一報として述べるのが良いと思います。

第一報として「証明した」とだけ述べたりほんの僅かな注意書きだけしておいて、それ以降に補足として「査読は経ていない」などの補足をぶら下げるだけだと、大衆は第一報しか目にしない可能性が高いことは想像に難くありません。

その危険性をあえて無視してキャッチーな広告を行ったと認知された場合の信用は、少なくとも数学コミュニティにおいては著しく落ちると思います。最悪の場合は炎上商法や投資詐欺を疑われるレベルとなるかもしれません。そうなると(実際に炎上商法や投資詐欺を企てているのではない限り)アウトプットをする側としても損が大きいでしょう。

これまで学術的に誠実に数学と向き合って頑張ってきたからこそうまくいった時の嬉しさは格別で、つい気が緩んでインプレッションの高い第一報をしてしまいやすいかもしれません。しかし研究倫理研修で学んだ数々を改めて思い出しましょう。研究は結果公表も含めて研究です。最後まで気を引き締めて、学術的誠実さを意識していきましょう。

というわけで数学のアウトプットに求められる学術的誠実さも状況に応じて幅があるわけです。もし判断が自分ではできなくて不安があれば、信頼ができる周りの人に「こういうアウトプットで大丈夫だろうか?」と聞いてみるのも良いでしょう。数学は沢山の人が楽しんでいる分野なのですから、アウトプットにしても勉強にしても何でも悩みを自分1人で抱え込まず周りに相談してみるという選択肢を常に持っておきましょう。

自分用覚え書き

github pagesで数式を使う際は、inlineであってもなくても閉じカッコと半角アンダーバーの間に半角スラッシュを入れないとmarkdownからhtmlへの翻訳の仕様でバグるらしい。

数式環境をくくる大括弧と数式環境内の中括弧や半角空白は半角スラッシュ2つ、改行は半角スラッシュ5つ、その他は基本的に半角スラッシュ1つで良さそう。htmlとmathjaxの関係が難しい。

arrayとalignはどちらも使える。arrayが使えない気がしてしまったのは中括弧につける半角スラッシュの個数を間違えていたから。alignはアンパサンドを等号の右側につけて半角空白を2つ入れると幅がちょうど良さそう。arrayなしだとアンパサンドは使えない。